きほんブルックリン

2019年日本への本帰国を目指しながら、大好きなブルックリンのこと日々の生活を徒然。

映画BlacKkKlansman(邦題:ブラッククランズマン)を見て思ったこと

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スパイクリーは怒っている。そりゃあ、めちゃんこ怒っている。

でもユーモアのセンスは無くさず、彼は今のアメリカに立ち向かっている。

 

アメリカとは、侵略と戦いの歴史で出来ていると、改めて思わされた。目には目を、歯には歯を。ハムラビの法に倣うように正義の剣を振りかざし、悪を征しようとしている。でも悪は無くならない、むしろ善と悪の溝は深まるばかりで、どんどん二分化していっているアメリカ。そんなアメリカに終止符を打つことを願ってスパイクリーはこの映画を作ったんだろう。

 

この映画はRon Stallworthによるベストセラー書籍Black Klansman: A Memoirを元にしていて、書籍は1970年代当時に初の黒人警察官であったStallworth自身の体験をもとに執筆されており、白人至上主義団体KKKへの潜入捜査の体験をつづったものです。

書籍から映画化になるにあたり、登場人物やストーリーなど多少の脚色は加えられたようですが、時代背景や人種問題をめぐる当時の混沌さは、かなり忠実に再現されているのでは、と思いました。

 

続く人種差別問題

舞台である70年代後半から現在まで、変わらず人種問題を抱えるアメリカ。2018年の今でも差別は無くならないどころか、『差別』の定義が多様化しているせいで、差別しているひとは差別の意識が無いままに人を差別している時代になっている。

 

『アメリカにいて差別を感じたことが無い』という人がいるのなら、それはアメリカ人のコミュニティ(友達との付き合いだけではなく、仕事や地域活動等を通したコミュニティ)に属していないから気付いていないか、世で起こっていることにあまりアンテナを張らずに生きている人々だと思う。

 

昨今のアメリカの二極化(白人VSそれ以外の人種=アジア人ももちろん”それ以外”側である)については、私も、正直もう何が何だか分からないし、どうしたらネガティブな力でいっぱいの二極化を止めることができるだろう、と毎日のように考えるけれど、結局のところはお手上げだ。

そもそも、アメリカに住んではいるものの私は移民であるし、中でも日本なんていうのんびりした国から来ている人間で、私は正直戦い方が分からない。移民としては当事者であるけれども、親や先祖を含んだ歴史的当事者ではないし、アメリカが抱えている事の重大さを考えると関与することは憚られるほどだ。

 

戦うということ

とにかくアメリカの人は自分の意見を主張してディベートしたり、戦うことが大好きだ。これは、政治的な見解等だけではなく、小さなこと、例えばやれ『インターネットが止まっている』とカスタマーサービスに話す時だって戦わなければならない。(なぜならカスタマーサービスin USは本当に劣悪で、『サービス』なんて二の次だからな!笑)矛先がなんであれ、小さなころから常に周りと戦って生きている人種であるように思う。調和なんて二の次だ。

この映画の中では、私みたいに戦い方の分からない人間は出てきておらず、皆が、自分が信じる善・悪の名のもとに戦っていた。まさにアメリカ社会そのものだ。


正直トランプ当選以降から、MeTooムーブメントやら、人種問題やら、戦いの場面が多すぎて、こうゆう戦力むき出しの人々をみると、ちょっと『うっ・・・』と感じるようになってしまった。フェイスブックひとつ取っても、周りのアメリカ人は常になんらかしらのステートメントを掲げながら生きているし、そうゆう日々の戦いに私はちょっと疲れている節がある。

もちろん意見を主張することが大切なのは分かるし、沈黙することは罪であるという彼らの主張もよく分かるのですが、戦うということは、結果的に勝者と敗者を生じるということ。それがヒーロー映画だったのなら『勝ったね、万歳!グッドエンディング!』で終了なのですが、現実世界ではそうはいかない。敗者が敗者であることに納得はいかず、その後復讐が生まれ、復讐は1世代だけにとどまらず、2、3世代と世代を超え、まさに負の連鎖だ。どんどん溝は深くなるばかり。ということを傍から見ていると感じます。

 

力以外での戦いを

今回の映画の中で一番好きだったことは何と言ってもスパイクリー監督のユーモアのセンスでした。

今のアメリカ社会に対する強いメッセージを提示し、映画に緊張感を持たせながらも、ユーモアたっぷりに次々とシーンを消化していって、スパイクリーあっぱれです。

彼の中にも怒りはすごく溢れているだろうに、怒りを他の形に消化させて戦うのはカッコいい。でもみんながみんな、スパイクリーのように天才じゃないし、怒りを作品に消化するなんてことができるわけではない。

各々、怒りを声にすることで衝突がおき、シャーロッツビルの事件のようなことが起こっているのがここ数年の動き。もう同じやり方では世界は変わらない。声を大にして、自分の主義思想を唱えたところで、他人の思想はそう簡単には変えることはできないように私は思える。

世の中の変えかた自体を変えていって、議論の仕方を変えていかなきゃいけない。と、この映画を見てすこーし思ったのでした。

 

追記

映画内で、『このひとスティーブブシェミに似てるなあ』ってずーっと思ってたら、ブシェミの弟でした!俳優だったんだね~

あと、ヒロインのLaura Harrierがめっちゃんこ可愛い。くちびるが厚くてセクシーで、可愛くて、おまけに70'ファッションが似合う可愛いアフロねーちゃん。サイコー。 

 

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